1月20日の日記

2005年1月20日
母の愛は仏の慈悲なり

を唱えていたのは、忘れもしないなつかしのわが母校でありますが、
あたしがそんな心を持てる日は果たして来るのでしょうか。

もうすぐ23歳になるというのに、
優しさも頭も足りない今日この頃だと痛感する日々が続いております。

賢い頭で穏やかに物事を解決できればいいのに。
誰に対しても微笑を絶やさず、其れこそ菩薩かマリアのように、
分け隔てない愛を全ての人に注ぐことができればいいのに。

其れが偽りのものでもかまわないか、と問われれば
即座にYesと答えましょう。

しかししかし。

右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい「聖書」、
汝、隣人を愛せよ「聖書」、
人を怒らば我もまた人の怒りを受けつべし
怒り怒られ打ちつ打たれついずれかは身の仇(あだ)ならぬ「法句経」

どれも自身軸とは離れたところに咲く言葉。

日々の鍛練が足りないのか、
欲にまみれた志向と行動。
どうにも流されてばかりで一つも、
叶えられそうにはないのです。

慈悲とはなにか、どうすれば、
身に纏うことができるのか。
己の心に芽吹くのか。

刺さった棘の一つ一つ
怒りでなくて慈悲を起こす
心根の深さがあれば良いのに
未だ其れは見つかりません

いっそ言葉を手放して

生きるほうが良いのでしょうか

エイメン

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